今日で3日目、昨夜泊まった静岡の旅館の道路一本隔てた所に「登呂遺跡」があります。古代研究の先駆けとなった代表的な「弥生時代」の遺跡です。緑に囲まれた園内には、復原された竪穴式住居や高床式倉庫が点在してます、園内の登呂博物館では当時の村を再現し、当時の生活を疑似体験も出来ます。
国道150号を海岸に沿って走りますと、この道路の横に旧道が走っていて良い環境でサイクリングが出来ます。この道路沿いには有名な「石垣イチゴ」のイチゴラインが続いておりますがその途中に徳川家康の「久能山東照宮」が有ります。徳川家康が駿府城で75歳の生涯を閉じましたが遺骸を祭るため造営されました。
久能山東照宮の鳥居の前で他所のおじさんに説明を聞いておりましたら、何処から来たのか、昨夜の宿は何処からとか聞かれているうちに我々が昨夜泊まった旅館の先代の主人の娘がこのおじさんの奥さんで有りました、そんな事で暫らくお話し・・・いろいろときいておりました。。。今日のコースガイドは昨日からご一緒して貰っている、地元静岡の「中野さん」です。
国道150号は静岡から清水に入ってきました。これから行くところは「羽衣の松」です。此処は半島のようになってまして、グルリと一周します。
「羽衣の松」松の枝にかけておいた羽衣を漁夫にとられた天女が漁夫の妻となるが、夫の留守をねらって羽衣を取り返して空に上がった」という伝説は、「駿河風土記」にも紹介されている。この松は何代目・・・
清水次郎長の経営していた[汽船宿」末廣の復原です。清水港の整備や清水~横浜間の蒸気汽船定期航路の開設にも助力して、汽船宿も経営したのですね。
清水次郎長の生家です。
太平洋自転車道です。
東海道本線の線路脇にある「清見寺」が昔の姿を伝えている。
山門をくぐって正面が本堂です。
このお寺には有名な「五百羅漢」があります。何れも江戸後期の作と言われてます。
由比宿です、この道は旧の東海道で「由比宿本陣跡や由比正雪の生家の正雪紺屋があります。
国道一号の新富士川橋を渡っております、この橋が渡れないと、かなり遠まわりになるのですが・・・これで
新幹線の新富士駅が近くなりました。これにて今回の旅は終わりです、三日間良い天気で良かったです。
国道150号を海岸に沿って走りますと、この道路の横に旧道が走っていて良い環境でサイクリングが出来ます。この道路沿いには有名な「石垣イチゴ」のイチゴラインが続いておりますがその途中に徳川家康の「久能山東照宮」が有ります。徳川家康が駿府城で75歳の生涯を閉じましたが遺骸を祭るため造営されました。
久能山東照宮の鳥居の前で他所のおじさんに説明を聞いておりましたら、何処から来たのか、昨夜の宿は何処からとか聞かれているうちに我々が昨夜泊まった旅館の先代の主人の娘がこのおじさんの奥さんで有りました、そんな事で暫らくお話し・・・いろいろときいておりました。。。今日のコースガイドは昨日からご一緒して貰っている、地元静岡の「中野さん」です。
国道150号は静岡から清水に入ってきました。これから行くところは「羽衣の松」です。此処は半島のようになってまして、グルリと一周します。
「羽衣の松」松の枝にかけておいた羽衣を漁夫にとられた天女が漁夫の妻となるが、夫の留守をねらって羽衣を取り返して空に上がった」という伝説は、「駿河風土記」にも紹介されている。この松は何代目・・・
清水次郎長の経営していた[汽船宿」末廣の復原です。清水港の整備や清水~横浜間の蒸気汽船定期航路の開設にも助力して、汽船宿も経営したのですね。
清水次郎長の生家です。
太平洋自転車道です。
東海道本線の線路脇にある「清見寺」が昔の姿を伝えている。
山門をくぐって正面が本堂です。
このお寺には有名な「五百羅漢」があります。何れも江戸後期の作と言われてます。
由比宿です、この道は旧の東海道で「由比宿本陣跡や由比正雪の生家の正雪紺屋があります。
国道一号の新富士川橋を渡っております、この橋が渡れないと、かなり遠まわりになるのですが・・・これで
新幹線の新富士駅が近くなりました。これにて今回の旅は終わりです、三日間良い天気で良かったです。
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by nbsan1491
| 2009-07-16 22:51
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