久しぶりの・・・歩こう会へ
2019年 06月 15日
今回は、久しぶりの歩こう会です。「ブログ」にいれておきます。
今回の歩こう会のプランは、集合地は近鉄沿線の「新大宮駅」からはじまります。
新大宮駅の東方向は近鉄奈良駅です。西方向は近鉄西大寺駅で、途中に平城宮跡が
1300年の昔の「埋蔵文化財」の宝庫と、平城宮の正門「朱雀門」と正殿「第一次大極殿」が
有ります、真ん中を近鉄電車が走り抜けて行きます。
集合地の「近鉄新大宮駅」です。
歩こう会「朝の集い」です。
今回の歩こう会の予定メインは「佐紀盾並古墳群」の素晴らしい「天皇陵」と「皇后稜」を見に行きます。
新大宮駅を出て国道バイパス「一条高校」の道路脇に有る「芸亭伝承地」(うんてい伝承地)です。
此処は日本で初めての図書館が開かれた所です。
佐紀盾並古墳群の東の端に有る「ウワナベ古墳」「コナベ古墳」です。古墳時代中期(5世紀中ごろ)
西暦450年頃築かれました。平城宮跡が1300年昔ですから、其れより250年も昔ですね~。
「磐乃媛命稜」この御陵は皇后稜で、今話題の堺の仁徳天皇稜「この天皇の皇后です」天皇が大阪の堺で
皇后が奈良の佐紀なのです。何でやろかね~、このご夫婦はあまり中が良くなかったそうで、別居が
長く続いていたそうです。
此の路は「奈良~法隆寺間」の自転車道なのです。
上の写真の左側が大昔から大池「水上池」です。
平城宮跡「第一次大極殿」
炎天下の昼食です。
「日葉酢媛命稜」垂仁天皇の皇后です。この古墳は「古墳時代前期後葉」(4世紀中ごろ)西暦350年頃、
古い古墳が沢山有る、佐紀古墳群で最初の頃に築かれた大型前方後円憤がこの「日葉酢媛命稜」です。
制札屋形
歴史の道
「成務天皇陵」此の天皇陵も先の日葉酢媛命稜の同等年代の御陵、古墳です。
制札屋形
「神功皇后稜」は仲哀天皇の皇后です。「前期末葉から中期初葉」(4世紀中頃から末)西暦350年ごろに
築かれた最大規模の前方後円憤だと言っていいでしょう。
今回の歩こう会のプランは、集合地は近鉄沿線の「新大宮駅」からはじまります。
新大宮駅の東方向は近鉄奈良駅です。西方向は近鉄西大寺駅で、途中に平城宮跡が
1300年の昔の「埋蔵文化財」の宝庫と、平城宮の正門「朱雀門」と正殿「第一次大極殿」が
有ります、真ん中を近鉄電車が走り抜けて行きます。
集合地の「近鉄新大宮駅」です。
歩こう会「朝の集い」です。
今回の歩こう会の予定メインは「佐紀盾並古墳群」の素晴らしい「天皇陵」と「皇后稜」を見に行きます。
此処は日本で初めての図書館が開かれた所です。
西暦450年頃築かれました。平城宮跡が1300年昔ですから、其れより250年も昔ですね~。
「磐乃媛命稜」この御陵は皇后稜で、今話題の堺の仁徳天皇稜「この天皇の皇后です」天皇が大阪の堺で
皇后が奈良の佐紀なのです。何でやろかね~、このご夫婦はあまり中が良くなかったそうで、別居が
長く続いていたそうです。
上の写真の左側が大昔から大池「水上池」です。
平城宮跡「第一次大極殿」
古い古墳が沢山有る、佐紀古墳群で最初の頃に築かれた大型前方後円憤がこの「日葉酢媛命稜」です。
制札屋形
「神功皇后稜」は仲哀天皇の皇后です。「前期末葉から中期初葉」(4世紀中頃から末)西暦350年ごろに
築かれた最大規模の前方後円憤だと言っていいでしょう。
by nbsan1491
| 2019-06-15 21:46
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