8月22日 の 「歩こう会」は。
2018年 08月 23日
つい4日~5日前から過ごしやすい日が続いていたのに、今日は炎天下の猛暑が戻ってきたようです。今日の気温「37℃」湿度「50%?」先月は麦わら帽子で暑さをしのいでおりましたがアスファルトの照り返しが強くて、本日はメッシュの帽子をかぶってゆきました。
今日の集合地は「近鉄西大寺駅」でこの駅は大阪・難波駅からと京都駅から橿原神宮前駅と三方から電車が乗り入れていて奈良駅に向っております。近鉄の主要駅の中でも乗降客の多い駅でしょうね。
集合地の近鉄「西大寺駅」です。
あまりの暑さに陰を求めて移動しました。
西大寺駅から100mほどの処に駅名の元名「西大寺」があります。
南都七大寺のひとつで「東の東大寺」と「西の西大寺」と言われてました、文献によりますと現在の東大寺よりも敷地その他の規模は東大寺より大きかったと言われてます、現在では想像も出来ませんがね~
西暦764年聖武天皇の娘の称徳天皇(当時は上皇)の発願により建立されました。
西大寺 東 門
西大寺 東門から参道を見る
伽藍 案内図
南 門
西大寺の可愛いい「南門」を出て道沿いを菅原の里へ向います。同行者に「菅原神社」知ってる?と聞くとよく知らないと言う、
天神さんよ「菅原道真公」・・・細い道の両側は今だ昔風の構えの家が多くあります。
菅原 天満宮 正門と鳥居
本殿
菅原道真公をお祀りしている菅原神社から田舎道一筋向こうに「奈良時代」の「名僧行基」が建立した「喜光寺」があります。
古くは「菅原寺」といった、西暦721年行基が精舎を構えたのが始まりと言う、行基は晩年この寺で病に伏せ、西暦749年入滅した。本堂前の南大門は数年前に建立されたが、古い本堂と新しい南大門のバランスが・・・
喜光寺の南門と本堂
近鉄橿原線の西大寺駅から次ぎの尼ヶ辻駅を通り過ぎるころ、西側に満々と水を湛えた壕の向こうに、緑の山が見えてくる。これが「第11代垂仁天皇」の御陵として宮内庁が管理する菅原伏見東稜であります。壕を備えた前方後円憤としては、最も美しい古墳の一つで有りましょう。大きさは全長227m、後円部径123m、前方部・後円部共に三段築成である。
壕・周豪内には垂仁天皇によって常世の国に非時香菓を求めて使いに出されたと「日本書記」に記されている「田島間守」の墓とされる小島がる。
「唐招提寺」は西暦759年鑑真和上が平城京右京五条二坊に律宗の道場開いた事に始まる、鑑真和上が西暦763年76歳で入寂したのち、弟子が遺志を継ぎ現在の建物郡が今に至る。
唐招提寺 南門 「この作りも珍しいです」
本堂
唐招提寺 縁起
今日の歩こう会は誠に暑い一日でありました、昼食は秋篠川の自転車道の木下陰で済ましましたが・・・暑かったです、この後の予定の「薬師寺」はパスして、近鉄西ノ京駅から帰ってきました。比較的高齢者の集まりで有りますがこの炎天下を汗まみれで歩いて、ダウンした人も無く、皆さん元気にご帰宅されましたよ。。。。
近鉄 西ノ京駅 最近には昼間の時間帯に「特急」が停まるようになりました
今日の集合地は「近鉄西大寺駅」でこの駅は大阪・難波駅からと京都駅から橿原神宮前駅と三方から電車が乗り入れていて奈良駅に向っております。近鉄の主要駅の中でも乗降客の多い駅でしょうね。
集合地の近鉄「西大寺駅」です。
あまりの暑さに陰を求めて移動しました。
西大寺駅から100mほどの処に駅名の元名「西大寺」があります。
南都七大寺のひとつで「東の東大寺」と「西の西大寺」と言われてました、文献によりますと現在の東大寺よりも敷地その他の規模は東大寺より大きかったと言われてます、現在では想像も出来ませんがね~
西暦764年聖武天皇の娘の称徳天皇(当時は上皇)の発願により建立されました。
西大寺 東 門
西大寺 東門から参道を見る
伽藍 案内図
南 門
天神さんよ「菅原道真公」・・・細い道の両側は今だ昔風の構えの家が多くあります。
菅原 天満宮 正門と鳥居
本殿
菅原道真公をお祀りしている菅原神社から田舎道一筋向こうに「奈良時代」の「名僧行基」が建立した「喜光寺」があります。
古くは「菅原寺」といった、西暦721年行基が精舎を構えたのが始まりと言う、行基は晩年この寺で病に伏せ、西暦749年入滅した。本堂前の南大門は数年前に建立されたが、古い本堂と新しい南大門のバランスが・・・
近鉄橿原線の西大寺駅から次ぎの尼ヶ辻駅を通り過ぎるころ、西側に満々と水を湛えた壕の向こうに、緑の山が見えてくる。これが「第11代垂仁天皇」の御陵として宮内庁が管理する菅原伏見東稜であります。壕を備えた前方後円憤としては、最も美しい古墳の一つで有りましょう。大きさは全長227m、後円部径123m、前方部・後円部共に三段築成である。
壕・周豪内には垂仁天皇によって常世の国に非時香菓を求めて使いに出されたと「日本書記」に記されている「田島間守」の墓とされる小島がる。
「唐招提寺」は西暦759年鑑真和上が平城京右京五条二坊に律宗の道場開いた事に始まる、鑑真和上が西暦763年76歳で入寂したのち、弟子が遺志を継ぎ現在の建物郡が今に至る。
唐招提寺 南門 「この作りも珍しいです」
本堂
by nbsan1491
| 2018-08-23 10:29
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