奈良・平城宮跡の東の端から、東の山中を見てます。東大寺や若草山がよく見えますね。1300年の昔の奈良平城京が蘇えります。


by nbsan1491
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 「歩こう会」  大和郡山の 「環 濠 集 落」

奈良・大和郡山には太古からの「環濠集落」が沢山あります、それも今、現在も何代も続いた人達が住み続けているのです。そんな環濠集落を歩きながら見て参りました。

近鉄・橿原線の西大寺駅から各駅停車で「尼ヶ辻~西の京~九条~大和郡山~筒井駅」で下車です。所要時間約10分運賃210円です。

近鉄・筒井駅前です。
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この道が「奈良~吉野」を繋いでいた「吉野街道」です。
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「筒井城跡」
筒井は、戦国時代の大和を制覇した筒井氏の本拠地であります。近鉄筒井駅の東北一帯、高架から一望される集落全体が筒井城跡であります。

北の水田から集落に近づくと、蓮池が帯状に残っている。これが外堀の跡であります。集落に入ると、菅田比売神社の林があり、その西方の湿地は蓮池の面影が年々減っているがこの辺りが筒井氏の居館跡と推定されている。
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番条環濠集落
筒井駅から暫らくすると、古代の下ツ道西側の番条は、佐保川東岸近くの低湿地を占めており、南北に長く、北・東・南の三方を濠で囲まれ、西側は中央のみが濠を欠いている。北東端部の熊野神社は狭い濠をめぐらせるので、復郭ともいえる。集落の起源は鎌倉期の番条荘と考えられる。
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熊野神社
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若槻環濠集落
若槻は中世では若槻荘と呼ばれ、興福寺の有力な子院であった大乗院の荘園であった。他の村々と同じように、村内に入るとまだまだ静かなたたずまいを残している。この村には鎌倉時代から室町時代の資料がたくさん残っていて、中世の村の姿を復元する事が出来るからであります。
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「稗田環濠集落」の中にある「売田神社」
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裨田環濠集落
裨田の環濠集落へ入るのには必ず橋を渡らねばならない。現在もどっしりとした大和棟の民家が濠の水に映えて美しい姿を見せている。
大和郡山市内には「環濠集落」が十数ヵ所ある。これらの環濠集落は総て佐保川の東側に集中している。
戦国時代に集落の周囲に深い濠で囲まれた環濠が完成したもので、大和平野の各所の集落で見られる、作られた目的は防衛のためと言う説と水利と言う説が有ると言われている。
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帰りはJR郡山駅からです。
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by nbsan1491 | 2015-10-29 21:37 | Comments(0)