南紀サイクリングツアー 二日目 串本
2009年 05月 15日
捕鯨基地の太地から国道42号の海岸線を串本に向けて走っております。あと暫らくの所でのショットですが前方の左上に串本名物?天然記念物の「橋杭岩」が見えてきました,その横の島陰が大島です。
これが「橋杭岩」です後ろが大島です。
「橋杭岩」をバックに4人のショットです。4人のトータル年齢は何歳でありましょうか?
串本に着きましたら・・・彼の有名な民謡「串本節」があります。この歌が大好きでありまして。「ここは串本 向かいは大島、仲をとりもつ巡航船 アラヨイッショ、ヨイショ、ヨイッショ、ヨイッショ」と謡われていたのですが、元々は歌詞が反対で「ここは大島、向かいは串本」だったそうですが串本側の積極的PRで変わってしまったのですね。串本と大島の間には立派な串本大橋が出来まして、民謡の巡航船は廃止になりましたです。
串本大橋の大島側に立派な「ループ橋」が有ります。3人の真中を走っているのが私で有ります。
大島の東端に突き出た断崖の上に建つ「樫野崎灯台」です。明治3年に初点灯されました。
樫野崎灯台からの帰り道にある「トルコ軍艦エルトウールル号」が座礁、581人の犠牲者を出す事故があったその「慰霊碑」です。
この海が遭難場所だそうです
この海のこの岩に座礁したそうです、記念館のおじさんが説明をしてくれました、
トルコ軍艦遭難の詳細はこの記念館に詳しく展示説明をされています、このトルコ軍艦の遭難事故の発生で
日本とトルコの関係は100年以上経ても素晴しい、お互いの国民感情があるそうです。
これが「橋杭岩」です後ろが大島です。
「橋杭岩」をバックに4人のショットです。4人のトータル年齢は何歳でありましょうか?
串本に着きましたら・・・彼の有名な民謡「串本節」があります。この歌が大好きでありまして。「ここは串本 向かいは大島、仲をとりもつ巡航船 アラヨイッショ、ヨイショ、ヨイッショ、ヨイッショ」と謡われていたのですが、元々は歌詞が反対で「ここは大島、向かいは串本」だったそうですが串本側の積極的PRで変わってしまったのですね。串本と大島の間には立派な串本大橋が出来まして、民謡の巡航船は廃止になりましたです。
串本大橋の大島側に立派な「ループ橋」が有ります。3人の真中を走っているのが私で有ります。
大島の東端に突き出た断崖の上に建つ「樫野崎灯台」です。明治3年に初点灯されました。
樫野崎灯台からの帰り道にある「トルコ軍艦エルトウールル号」が座礁、581人の犠牲者を出す事故があったその「慰霊碑」です。
この海が遭難場所だそうです
この海のこの岩に座礁したそうです、記念館のおじさんが説明をしてくれました、
トルコ軍艦遭難の詳細はこの記念館に詳しく展示説明をされています、このトルコ軍艦の遭難事故の発生で
日本とトルコの関係は100年以上経ても素晴しい、お互いの国民感情があるそうです。
南紀は初夏の陽気・・・岐阜から思いますと、南国のイメージですが。
国道42号、さすがに車道は厳しいですね。歩道を走るほうが安心ですね。
宿の豪華な食事?も画像をお願いします(笑)
国道42号、さすがに車道は厳しいですね。歩道を走るほうが安心ですね。
宿の豪華な食事?も画像をお願いします(笑)
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Commented
by
N B san
at 2009-05-16 11:08
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wajinさん、いつもどうもです。南紀のこの時期の「空の色も海の色」も明るいですね、秋の終わりから5月頃までは地域を考えてプランしたいものです。「一月は愛知」「2月は御前崎」[3月は伊豆半島」[4月は南紀」と雪の無い太平洋側のプランでしたね。さて5月は、後半に、例のプランが有るのですが・・・どうも体調がね~。。。今回の宿の食事は3泊すべて「バイキング方式」で4人とも自分の好きなものを食していたようです、自由な自転車遊びですから宿の食事も自由が宜しいようですね・・・
by nbsan1491
| 2009-05-15 13:04
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Comments(2)