奈良・平城宮跡の東の端から、東の山中を見てます。東大寺や若草山がよく見えますね。1300年の昔の奈良平城京が蘇えります。


by nbsan1491
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

<   2011年 01月 ( 12 )   > この月の画像一覧

帰ってきました

自転車遊びではない野暮用でお出かけしておりまして本日帰って来ました。加齢と共に5日間のお出かけですが瞬く間に過ぎてしまいました。「blog」もそうですがズボラをしますとあっと言う間に日にちが過ぎてゆきます。

平城宮跡の北側に有ります、水上池畔近くの「磐之媛命陵」(ヒシアゲ山古墳)であります。

b0174217_2204349.jpg


磐之媛命は第十六代仁徳天皇の皇后です。仁徳天皇の即位以降の年代が西暦413年頃と推定されていますので、磐之媛皇后と共に平城京(710年)の奈良時代まで約300年の年代差があるのですね。 と言う事は平城京の出来る前にこの地には磐之媛皇后の他、御陵・古墳が沢山作られていたのですね。

b0174217_223557.jpg


磐之媛命陵の前に有る参道を東側からみてます、この辺りは御近所の人たちにとっても絶好の散歩道なのです。

b0174217_22384723.jpg


「延喜式」諸陵寮には磐之媛墓を「平城坂上墓」として記しており、その規模・位置等について「磐之媛命」在大和国添上郡、兆域東西一町、南北一町、無守戸、令盾列池上陵戸兼守」としている。

b0174217_22233047.jpg


磐之媛命陵の東側は見事な参道になっており、後半には素晴らしい石畳み道が続いている。

b0174217_22262999.jpg


b0174217_2227146.jpg


自転車散歩も宜しいが歩き散歩も良い所です、この様な天皇陵・皇后陵・御陵参考地、学術的古墳など凄い数の古墳があります。この辺りを平城京の昔以前から佐紀の盾列古墳群と呼ばれています。

b0174217_22405542.jpg

by nbsan1491 | 2011-01-30 22:34 | Comments(3)
明日一月二十六日から三十日まで、お出かけしますので「blog」はお休みします。最近は更新の方も思うように行かず失礼しておりますが宜しくお願い致します。

「奈良・東大寺の南大門」です。「裏から見てます」
b0174217_17473466.jpg


鏡池越しの「中門」と「大仏殿の屋根」が見えてます。
b0174217_17492230.jpg


「大仏殿」です」
b0174217_1735956.jpg

by nbsan1491 | 2011-01-25 17:35 | Comments(2)
前が小さくて、後ろが大きいの、この事は私の「旅自転車」の前は「フロント」で後ろは「リアー」ですが、何時の頃からかフロントの「ギア」がだんだん小さくなって来まして、その分リアーの「ギア」が大きなってきました。。。旅自転車ですから高速走行は犠牲にして、山坂や峠登りが楽に走れるようにするためにこうなったと思います。

私の旅自転車のメインはクラブモデル風でサドルバッグを中心にしてます。フロントのギアーは「44-36-26」のトリプルです。リアーは「14~26」で5段です。フロントとリアーは一回転ですね、これで登れない峠道は降りて押しになりますね。
b0174217_2113419.jpg

フロントトリプルで「44-36-26」のセッテイングです。このギアーが一番だと思ってます。
「TA」のクランクに「TA」の歯です。
b0174217_2126046.jpg

「ストロングライト」のクランクに「TA」の歯です。これも「44~26」のトリプルです。
b0174217_21273990.jpg

このクランクはストロングライト風です。「49番と93番」の合いの子のようです。「TA」の歯です。「44~26」です。
b0174217_21301095.jpg

これは「スギノ」の古いクランクギアーですが、「マイテイ-コンペ」でしたかね。歯の数が「50-44」ですが今風の歯の自転車としてはこれだけですね、なんせこの自転車は古い「ロードレーサー」ですから。
b0174217_8553112.jpg

私の旅自転車のメインは「5段ギアー」ですが、6段も持っているのですよ。(これは26です)
b0174217_21312450.jpg

手持ち車、唯一の6段ギアーです。(これはクライマーもどきですから28です)
b0174217_2132373.jpg

長くこの世界に居りますものでパーツ類は新品は当然ですが中古品も捨てずに保管してますので、かなりの数があります。写真に写っていないものもまだまだありますね。
b0174217_2135084.jpg

「DNP」?
b0174217_21361078.jpg

サンツアー「プロコンペ」
b0174217_21365495.jpg

シマノ「333」
b0174217_21372985.jpg

ミルレモ
b0174217_2138783.jpg

レジナ
b0174217_21383967.jpg

シクロ
b0174217_2139199.jpg

只今は「14~26」「14~28」(5段~6段)のフリーをセッセと手持ちして喜んでおります。旅自転車のギアーはリアーとフロントは一回転がベストだとも思い込んでおります。
by nbsan1491 | 2011-01-24 21:43 | Comments(0)
今日は岐阜の「奥美濃CC」の「wajinさん」他の皆さんが奈良へ来られるのでお迎えと御案内をして来ました。奈良CCの「ツッチーさん」も御一緒してもらっって集合地の東大寺・南大門の参道に集合しました。
b0174217_21355612.jpg

南大門参道に集合してくれたメンバーさんです。
b0174217_21373672.jpg

この場所から夜の「若草山焼き」を見ることにしました。それまでは奈良散歩です。
b0174217_21464949.jpg

東大寺の絶景ポイントの「鏡池」のまえから大仏殿を見てます。
b0174217_2140848.jpg

この後二月堂から大仏殿の裏参道を通って雑司町から般若寺へ素晴らしい建物の奈良少年院のゲートを見て黒髪山から不退寺へ向かいました。
b0174217_21504385.jpg

不退寺です。
b0174217_21511356.jpg

奈良自転車道の水上池の北側に有ります、第十六代仁徳天皇の皇后「磐之媛陵」(ヒシアゲ古墳)です。
b0174217_21524563.jpg

佐紀町の西の端にあります、第十一代垂仁天皇の皇后「日葉酢媛陵」(佐紀陵山古墳)です。
b0174217_21564153.jpg

この後平城宮跡の「大極殿」へ行き、簡単な食事をして若草山焼きへ向かいました。朝の集合地東大寺・南大門の参道脇に帰ってきまして暗くなる18時まで待ちました。暗くなるにしたがって見物の人達も増えてきました。
b0174217_2205618.jpg

b0174217_2211853.jpg

山焼きの前に花火が打ち上げられました。例年の倍の花火が打ち上げられて良かったです。
b0174217_2225039.jpg

b0174217_2231862.jpg

コンパクトなデジカメでは花火の撮影は難しいですね。
b0174217_2216869.jpg

若草山焼きです、こんな近くで山焼きを見るのは何年ぶりでしょうか。
b0174217_2253317.jpg

b0174217_2254930.jpg

何時もは平城宮跡の近くで見ているのですが、若草山の近くはそれなりに迫力がありますね。
b0174217_227776.jpg

若草山焼きも19時前には終りましたので、現地解散となりました、「奥美濃CC」の皆さんはここからクルマでお帰りになりました。お疲れ様次回は温かい時期に又来てください。
by nbsan1491 | 2011-01-22 22:09 | Comments(2)
奈良・大和路の冬の風物詩、若草山の山焼きが1月22日(土)開かれます。
「平城宮跡」の東側から見る「東大寺の大仏殿」と「若草山」です。
b0174217_1031129.jpg

若草山の上空から若草山と奈良市街を見てます。
b0174217_1036675.jpg

若草山の山頂から見てます。
b0174217_10374225.jpg

若草山の山焼きは近くで見るのが良いのか、遠く離れた方が良いのか。。。
b0174217_10394080.jpg

明日1月22日(土)は朝の11時過ぎ頃から東大寺の南大門近くで待ち合わせをしまして
昼間の内は東大寺から般若寺~佐保路~佐紀路をうろつく予定です。
b0174217_10432437.jpg

山焼き前の「花火」は18時から「山焼き」は18時15分から予定されていますが、大変な人出であろうかと思います、若草山の山麓は恐らく入れて貰えないでしょうからから山焼きを見るのは「飛火野」辺りからがベストでしょうね。。。(地元の私は何時もは平城宮跡の大極殿の近くでゆったりと見ております)
by nbsan1491 | 2011-01-21 10:49 | Comments(0)
道は人間の最もすばらしい創造の一つであろう。道の交差するところは町となり、谷口には市がたった。そんな古代の代表する奈良。大和の古道をたどってみよう。

今回の道は六世紀後半から七世紀にかけて盆地南部(明日香・藤原)から北に向かってつくられた「上ッ道」「中ッ道」「下ッ道」の三本の直線計画道が徐所に整備される。三本の道の東西の間隔は「一町」が106mの古い尺度で令制四里二十倍=2120mの等間隔で施工された計画道路で有った事が判明されている。
中でも下ッ道は条里の基準線、平城京の中核線となった幹線道路で、条理に先だって作られたため、道幅分を除外して里界線がひかれた。道幅43mと推定され、現在の大阪「御堂筋」に等しい。

しかし長岡京・平安京への遷都以降、下ッ道の北半分は次第に使用されなくなった。大和郡山市裨田の西側の環濠が下ッ道を切っており、側溝のある26mの道路跡や橋脚が発掘で検出されている。

下ッ道が京域と交差するところに羅城門がおかれ、そこから幅75mの広大な朱雀大路が平城宮朱雀門まで4km建設された。
b0174217_9481490.jpg

南都から京への道は下ッ道を延長した歌姫越が当初は中心であったが、中世以降南都奈良町の発達で奈良坂経由の道が重要になる。一方大阪へは難路だが距離が短い「暗峠」経由の道がよく利用された。

下ッ道の南部は「中街道」と呼ばれるようになり、郡山城下と八木をつなぐ主要道として機能した。
上ッ道は近世には「上街道」と呼ばれ一部は西側に移動するが盆地の南北の幹線道となり、京都から奈良、長谷寺、室生、伊勢へ向かう参拝・観光の道となった。

今回「県立橿原考古学研究所」の主催で「国道下ッ道の遺構」の「アトリウム展示」(下ッ道と平城京朱雀大路)開催されます。

(*)県立橿原考古学研究所で開催。 
   奈良県橿原市畝傍町 
   問い合わせ 0744-24-1101
   2011年3月23日まで 「無料」

b0174217_1074954.jpg
   
by nbsan1491 | 2011-01-20 10:07 | Comments(2)
何時ものお散歩コースの東大寺・転害門から平城宮跡の法華寺までの道沿いを紹介します。
東大寺の古い地図によると転害門の所に「佐保路門」いう書き込みのあることは有名な事だそうです。
すなわち東は転害門から西は法華寺までいわゆる「佐保路」と言われた奈良北郊の道です。条理では「一条南路」にあたっているのですが現在は「一条通り」と呼ばれております。
今回の出発点の転害門です。
b0174217_18142519.jpg

転害門から始まる「佐保路」(一条通り)です。
b0174217_1815393.jpg

一条通りを進んで来ますと、佐保川の橋に出てきます。この場所が先に紹介しました。「聖武天皇陵」の場所です。
b0174217_18245567.jpg

一条通り進みますと、保養施設の「春日野荘」があります、道の右側に石碑が有り「興福院」と彫られてあります。
b0174217_183173.jpg

「興福院」への道です。
b0174217_18321234.jpg

境内の整然とした美しさで知られる浄土宗の尼寺です。奈良の3つ門跡尼寺のような華やかさは無いが、小堀遠州の構想になるという客殿の庭園をはじめとして、そのたたずまいは素晴らしいものがあるそうです。この「興福院」は入場は予約制でありまして、事前に申し込みが必要です。
b0174217_18404744.jpg

山門
b0174217_18412075.jpg

山門から見る
b0174217_1842156.jpg

中には入れませんので門越しに、中門から本堂です。
b0174217_1843487.jpg

一条通りのバス停から細い道を入ると石の立派な鳥居が出てきます。これが「狭岡神社」です。
b0174217_18481872.jpg

緩やかな比較的長い石段があります。登ってゆきますと。。。境内でこのあたり全体が神域です。
b0174217_18493939.jpg

狭岡神社「由緒記」によると715年(霊亀2年)藤原不比等が国家鎮護・藤原氏繁栄を願い。己の邸宅・佐保殿(さほでん)に天神八座を祭ったのが始まりと言われています。
b0174217_18574763.jpg

狭岡神社は「狭穂比売の伝承地」開花天皇の皇女で垂仁天皇の皇后である、狭穂比売の住んでいた土地だとの伝説による。日本書記では狭穂姫と表されている。これが万葉仮名に直された時「佐保」の地名になったといいます。
b0174217_1962921.jpg

「伝承の鏡池」(姿見池)狭穂姫が、その美しい姿をこの池に映したと言われる伝説の池であります。
b0174217_1992649.jpg

もと来た一条通りに戻って次は「不退寺」です。JRの踏切の手前を北に入りますと踏切を渡って暫くして不退寺の山門が見えてきます。
b0174217_193915.jpg

不退寺は有名なお寺ですから皆さんご存じですね。
b0174217_19405387.jpg

b0174217_19411138.jpg

b0174217_19413180.jpg

もとの一条通り出てきまして、JRの踏切を渡って、国道24号の交差点まで来ますと、ここに奈良時代の「法華寺」の「鳥居」が有った所です。この鳥居は十二世紀平安の終わりから鎌倉時代の初めにかけて記録によく出てきたそうです。交差点の向こう側の右に一条高校がありますその向かい辺りに鳥居が有ったそうです。
b0174217_19483332.jpg

歴史に登場した「法華寺の鳥居」は有りませんが、国道24号と一条通りの交差点の西南隅に大きな切り株が残っています。この場所に「法華寺の鳥居」が有ったそうです。
(遠望の先の木の植わった所辺りが「法華寺」の辺りです。)
b0174217_19511948.jpg

切り株には覆屋かけられ、神木のように大切に保存されています。これは境界の地としての性格を今に伝える、最後のよすがではないかとと思われます。
b0174217_19542813.jpg

一条通り西へ行きますと交差点を直進して「法華寺」の集落へ入ってきます。集落の中を右に曲がったところが「法華寺」の山門です。
b0174217_19573564.jpg

法華寺前の道です。
b0174217_19584477.jpg

法華寺の山門越しに本堂が見えます。この門からは入場できません。
b0174217_19593918.jpg

法華寺を後にしますと、平城宮跡は歩いても僅かな距離です。集落の外れから広大な平城宮跡が一望出来ます。
by nbsan1491 | 2011-01-18 20:03 | Comments(2)
一月も中旬になって来まして寒さも一段と厳しくなっております。我が家の裏に大きな池が有るのですが、ここ数日、池の表面は凍っております、それでも野鳥達が池に来ておりまして餌をさがしているのですね。野鳥達も大変ですね。

寒い日が続きますので家の中でゴソゴソしておりました、3Fの部品庫の中から、忘れていたこんな物が出てきましたので、取り付けて走ってみました。

「わ か り ま す」
b0174217_2062485.jpg

ペダルを見て下さい。
b0174217_207641.jpg

ペダルにソックリカバーをしてしまいます。
b0174217_2014352.jpg

トークリップもストラップも邪魔無く足入れができます。
b0174217_20161014.jpg

冬になるとサイクリングシューズの皮革は薄くて走行中はとても寒いのですがこのカバーを付けておけば、穴あきシューズであっても防寒になります。。。サイズは殆どトークリップと同じですから、フロントマッドガードにあたる事は有りません。
b0174217_20211997.jpg

こんな部材はもう売って無いのでしょうね。
by nbsan1491 | 2011-01-17 20:24 | Comments(0)

今日の お 散 歩

今日もやはり寒い一日でありましたが、何時ものお散歩コースから少々離れて走って来ました。

平城宮跡の東の端から見る東大寺や若草山を遠望出来ます。奈良時代に平城京に住いしていた人達もこの景色には感激が有ったと思いますが。。。前方手前の瓦屋根の集落は「法華寺」の集落です。

b0174217_1513262.jpg


今日は何時ものコースとは変えて。
一条南大路と言われる「佐紀・佐保の道」を東進して奈良時代の創建時のままの「転害門」(手貝門)へ行きました。さすが立派です、東大寺の主要建築物は殆ど3度に渡る火災で都度都度再建されて来たものであるがこの門は1300年の時代を生き抜いてきたのですね。

b0174217_15285293.jpg


転害門(手貝門)は1961年(昭和36年3月10日)史蹟東大寺境内として国の史跡に指定されている。

b0174217_1535550.jpg


門の前を走っている道が京街道で、この先に般若寺や奈良坂があります。

b0174217_15375337.jpg


転害門(手貝門)の裏からです。

b0174217_1539314.jpg


この道が奈良時代からの一条南大路です、手前の左右が京街道です。

b0174217_1542838.jpg


多聞城跡へ、転害門(手貝門)から約300m程の所にこの案内標識がありますが、これが無かったらさっぱり解らないですね。

b0174217_15444136.jpg


多聞城跡の全景です。正面の山全体が多聞城であったのですね。
戦国から安土桃山に時代が移ろうする時、松永久秀が南都(奈良)を完全におさめるために本城として築いた多聞城、僅か数十年で廃城となったが近世城郭の先駆をなした名城と言われている。


b0174217_1612722.jpg


正面の門壁から奈良市立若草中学です。

b0174217_1685885.jpg


学校内の山腹に多聞城跡の石塔があります。

b0174217_1652687.jpg


中学校を造る時に敷地整備をしたら大量の石塔墓や骨坪、東大寺の瓦までが出土しましたので一か所にまとめて祀ってあります。

b0174217_16124826.jpg


標高113mの小さな丘、多聞山に造られた多聞城、東は京への幹線街道(京街道)の要、南は南都七郷を中心に繁栄していた奈良町や大和平野を眼下におさめる要地、経済的にも戦略的にも素晴らしい環境の城であったのですね。多聞城跡からの遠望です。

b0174217_16255848.jpg


遠望、奈良県庁の建物と興福寺の五重の塔です。

b0174217_16423218.jpg


平城京と東大寺と言えば、「聖武天皇」と「光明皇后」でしょう。
天皇と皇后の御陵は多聞城跡の殆どお隣り程に近い所にあります。

「聖武天皇陵・光明皇后陵の制札屋形です」

b0174217_1633557.jpg


聖武天皇陵

b0174217_16335249.jpg


b0174217_16341028.jpg


光明皇后陵

b0174217_16361637.jpg

by nbsan1491 | 2011-01-13 15:22 | Comments(6)
今日のお散歩は、近鉄奈良駅の東向商店街のお店に少々用事が有って出かけましたが、10分程で終りましたのでお散歩宜しく奈良公園から東大寺へ行って参りました。今日は歩きですから自転車では有りません、だから大仏殿や戒壇堂に入ることが出来ます、何年ぶりでしょうかね~
「近鉄奈良駅」東向きです。正面のはげ山?が若草山です。
b0174217_2235911.jpg

近鉄電車のビル(西向き)を見てます。
b0174217_2262273.jpg

奈良公園を通って東大寺へ向かいます。
b0174217_2271614.jpg

奈良県庁です。
b0174217_2282883.jpg

これから回る地図です。
b0174217_2294389.jpg

奈良県庁前のバス停です。
b0174217_22101372.jpg

奈良興福寺の宝蔵院跡。 宝蔵院流鎌槍発祥之地です。
b0174217_22164431.jpg

国立博物館旧館です。「高校生以下は無料」ですと。
b0174217_2218527.jpg

国立博物館新館です。本日は定休日です。
b0174217_2219148.jpg

東大寺南大門への交差点の参道です。
b0174217_0581290.jpg

同じく参道です。
b0174217_0444561.jpg

今日は人出も多かったです、中国の人や韓国の人も多かったです。
b0174217_0484598.jpg

b0174217_19289.jpg

b0174217_2220363.jpg

b0174217_22205640.jpg

南大門の両脇に金剛力士像(二王像)国宝があります。
大仏殿に向かって左の「阿形」
b0174217_22254895.jpg

大仏殿に向かって右の「うん形」
b0174217_22304051.jpg

大仏殿への入場は此処から入ります。
b0174217_22314299.jpg

大仏殿。さすがに大きくて立派です。
b0174217_2232442.jpg

b0174217_22331183.jpg

入り口がこれだけ大きいです。
b0174217_2234115.jpg

大仏様
b0174217_22342938.jpg

b0174217_22345097.jpg

大きいと言えば、東大寺の「釣鐘は日本一の大きさです」除夜の鐘は我が家にまで聞こえてました。
b0174217_2238270.jpg

b0174217_22382276.jpg

石段から三月堂を見てます。
b0174217_22391469.jpg

三月堂と二月堂を見てます。
b0174217_2239595.jpg

二月堂の舞台から東大寺の大屋根が見えます。遠望、生駒山です。
b0174217_2241771.jpg

二月堂北側の階段です。
b0174217_22414565.jpg

二月堂裏参道何時もと反対行きです。
b0174217_22424274.jpg

二月堂裏参道から大仏殿の大屋根を見てます。
b0174217_22433627.jpg

戒壇堂への道、向かいに「国宝の勧進所経庫」(校倉)です。
b0174217_22452959.jpg

戒壇堂の石段と山門です。
b0174217_22462652.jpg

山門越しに本堂を見てます。
b0174217_22472615.jpg

戒壇堂の本堂です。天平勝宝六年(754年)当時中国における戒律の第一人者唐の僧鑑真が来朝し、大仏殿の前に戒壇を築き、聖武天皇を始め百官公卿四百人に戒を授け、同年五月一日考謙天皇の戒壇院建立宣旨に依り造営されたもので、創建当時は金堂、講堂、軒廊、回廊、僧房、北築地、鳥居、脇戸等があった。
b0174217_2248221.jpg

戒壇堂の「四天王像」
「持国天像」
b0174217_22495649.jpg

「増長天像」
b0174217_22503116.jpg

「廣目天像」
b0174217_22515755.jpg

「多聞天像」
b0174217_2252541.jpg

戒壇堂からの帰り道。正面が「依水園」この道沿いに奈良県知事の官舎があります。この道も東大寺の山内で有ったのですね。
b0174217_2255297.jpg

by nbsan1491 | 2011-01-11 22:55 | Comments(0)