谷 瀬 の 吊 り 橋
2012年 04月 29日
タイトルの「谷瀬の吊り橋」は奈良県吉野郡十津川村上野地にある日本有数の吊橋です。昨年九月の紀伊半島を襲撃した台風により紀伊半島の各地で甚大な被害が発生しましたが、流石にこの吊り橋は被害は無かったようです。十津川村を走る国道168号線は各地で土砂崩れや川の氾濫によって国道の不通が続いておりましたがつい最近に開通しました。
谷瀬の吊り橋は1954年(S29年)に架橋された長さ297m、川面からの高さ54mを測る吊り橋です。観光名所としても名高く、スリルを味わいに訪れる観光客は多い。
この谷瀬の吊り橋は昭和29年に800万円の工費で出来た旨。この大吊り橋の利用はむろん十津川郷全体というわけではない。谷瀬とその奥の人々に限られるために、そのあたりの人々が一戸あたり30万円の負担金を出し合って架橋したと伝わっている。当時の30万はよほど大金だが、ともかくこの山村で中世以来発達してきた独特の公の意識を知る上で貴重で有りますね。(司馬遼太郎・街道をゆく)より。。。
長さ297m・高さ54mと吊り橋が如何に巨大であっても車やトラックを通すことは出来ないが地元の人達はこの橋の上をバイクやスクーターで通っておりますね。この吊り橋のおかげで対岸の人達は本道と濃厚につながっていると言う意識の方が強いようです。
私達には徒歩では渡ることは出来ますが、自転車やバイクでは無理でしょうね・・・
谷瀬の吊り橋は1954年(S29年)に架橋された長さ297m、川面からの高さ54mを測る吊り橋です。観光名所としても名高く、スリルを味わいに訪れる観光客は多い。
この谷瀬の吊り橋は昭和29年に800万円の工費で出来た旨。この大吊り橋の利用はむろん十津川郷全体というわけではない。谷瀬とその奥の人々に限られるために、そのあたりの人々が一戸あたり30万円の負担金を出し合って架橋したと伝わっている。当時の30万はよほど大金だが、ともかくこの山村で中世以来発達してきた独特の公の意識を知る上で貴重で有りますね。(司馬遼太郎・街道をゆく)より。。。
長さ297m・高さ54mと吊り橋が如何に巨大であっても車やトラックを通すことは出来ないが地元の人達はこの橋の上をバイクやスクーターで通っておりますね。この吊り橋のおかげで対岸の人達は本道と濃厚につながっていると言う意識の方が強いようです。
私達には徒歩では渡ることは出来ますが、自転車やバイクでは無理でしょうね・・・
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愛
at 2012-05-01 06:34
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ご無沙汰しております。
40年ほど前、社会人になったその夏に友人と谷瀬の吊り橋をわたりたいために、鈍行を乗り継いで奈良から走り始めました。吊り橋を目の前にしたら友人二人は自転車で渡るのをためらい、私一人で対岸まで、自転車に乗り往復しました。
高さもありましたが、足元の板がところどころタイヤが嵌まるほどの隙間が空いており、嵌まらないように走った記憶があります。
十津川村の夜空の満点の星も、記憶に深く残っています。
40年ほど前、社会人になったその夏に友人と谷瀬の吊り橋をわたりたいために、鈍行を乗り継いで奈良から走り始めました。吊り橋を目の前にしたら友人二人は自転車で渡るのをためらい、私一人で対岸まで、自転車に乗り往復しました。
高さもありましたが、足元の板がところどころタイヤが嵌まるほどの隙間が空いており、嵌まらないように走った記憶があります。
十津川村の夜空の満点の星も、記憶に深く残っています。
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N B san
at 2012-05-01 18:30
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愛さん、御無沙汰しておりました。
40年ほど前の十津川と言いますと、1972年(S47年)頃ですね。当時の名前が「五新線」(五条~新宮)と呼ばれてましたが道路は悪路で狭道で大変な道でありましたね。そんな思い出をお持ちなのは素晴らしいですね、機会を見つけて御一緒に走りましょうか。。。
40年ほど前の十津川と言いますと、1972年(S47年)頃ですね。当時の名前が「五新線」(五条~新宮)と呼ばれてましたが道路は悪路で狭道で大変な道でありましたね。そんな思い出をお持ちなのは素晴らしいですね、機会を見つけて御一緒に走りましょうか。。。
by nbsan1491
| 2012-04-29 09:57
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Comments(2)