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奈良・平城宮跡の東の端から、東の山中を見てます。東大寺や若草山がよく見えますね。1300年の昔の奈良平城京が蘇えります。


by nbsan1491
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奈 良 と 志 賀 直 哉 と 「自 転 車」

奈良の春日大社からささやきの小道を抜けたあたり、春日大社の社家町として知られる高畑に、昭和初期から10年間、志賀直哉が住んでいた家があります。志賀直哉自身で設計したもので、ここで名作「暗夜行路」が生まれました。「バス停 破石町下車」
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志賀直哉が奈良在住の友人らに勧められて、京都の山科から奈良市幸町に来住したのは、大正14年(1925年)42歳の時、やがて奈良公園に近く春日の森が望まれる高畑町に屋敷地を求めた、直哉自らが設計、京都の数奇屋大工の棟梁に依頼して新築した住居に移ったのは、昭和4年(1929年)四月の事です。
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住まいは数奇屋造を基調に洋風や中国風の様式を巧みに採り入れて、当時としては進歩的・合理的な工夫が凝らされた、茶室を備え、一部二階建てとし、庭を備えた邸宅であった。
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建物も立派であるが、裏庭も広々として立派です。
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志賀直哉の写真です。 東京・渋谷の自宅にて昭和38年10月 (1963年)
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「志賀直哉集 21」です。「現代文学大系」「筑摩書房」この本の中に、奈良で完成された名作「暗夜行路」がトップに掲載されてます
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この本の後半の452ページに「自転車」のタイトルで志賀直哉の子供の頃から大好きだった「自転車」の話しが出て来ます。13歳の頃から5~6年間は殆んど自転車気違いと言っても良い程によく自転車を乗り回していたそうです。学校への往復は当然、友達を訪ねるにも、買い物に行くにも、何時も自転車に乗って行ってました。

当時の貨幣価値では10円有れば大人一人が一ヶ月の生活費なった時代に自転車一台が130円~150円くらいで販売されておりました(当然外車)。そんな時代に子供の「志賀直哉」が自転車を乗り回して居たなんて嬉しくなりますね。その上、自転車のメンテ等で、出入りしていたのが、東京・神田のアルプス自転車工業の前身の「神田・錦町の萩原」と言う名前で文中に出てきます(自転車屋)。この萩原さんは、つい最近閉店したアルプスの、「萩原浩」さんの父上の「萩原慎一」さんの父上です。浩さんには祖父になる人です。我々の身近な所で「志賀直哉」と関連が出てくるのはとても楽しいことですね。「暗夜行路」も宜しいですが「自転車」も
是非お読み頂きますように。。。。
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by nbsan1491 | 2010-02-10 22:40 | Comments(0)